第十話:磯部綾子〈前編〉

 

 

何故だろう? どうしてだろう?

どうして、何故、何のために?

どうして、何故、どんな理由で?

どうして、何故、私を傷付けようとするの?

どうして、何故、何の主義を持って?

どうして、何故、どんな意味で?

どうして、何故、私を傷付けようとするのだろう?

理論や倫理という言葉で、片付けられる領域に染まっていない場所に行くのが、怖い連中ほど声高によく吼えている。

境目の無い(・・・・・・・)、ありもしない、自分ですら主張出来ない輩が、声高に、負け犬のように、弱者と強者にも当て嵌まらず、負け犬と例えることすら〈その犬〉が可哀想な・・・・・・・・・そう――――大河に呑まれるしかない、底辺中の底辺がほざいている嘆き(・・・・・・・・・・・・・・・・)など、私は聞きたくない。

見たくも無い。口にすら出したくも無い。汚らしい・・・・・・・・・赤の他人なんて、所詮は他人。自分の痛みには過敏なくせに、人の痛みは無頓着。そんな人たちは消えてなくなればいい。

でも――――あなたとあなたは、そのどちらでもない。その眼差しを見れば、違うと解る。でも、あなたとあなたが言いたい事はこれぽっちも、解らない・・・・・・・・・。

どうして、何故? 何のために? そう――――私が支配(・・・)し、私の思いのまま、私の気分で覆せ、私の望むまま、作り変えられる世界で購う無駄を、何故、どうして、何のために?

――――どうして、私の前に立とうと、無駄な努力を続けるの?

その無駄な意味を応えて欲しい・・・・・・・・・。

眠りから覚ますような金髪に、強靭な意志と誇りすら伝える金色(こんじき)の瞳を持つ、あなた・・・・・・・・・。

静かに降り積もる初雪のような髪に、鋼の硬質を持つ紅い瞳、まるで垂直に立つ剣の気高さを持つあなた。

そう――――あなたとあなた。

強がるのを止めて、弱いままの我が侭を止め、胸を張って人に頼って、誇りを持って赤の他人を尊重しようとするあなたとあなた・・・・・・・・・。

あなた達は・・・・・・・・・どうして? 私の前に立つの? 私を傷付けることすら出来ずに平伏してしまうと、解っていても何故? あなたは私の前に立っているの(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 荒野の中心で、歌うように世界へ呪詛を投げ掛ける塊がある。

 カイン、ラージェ、ディアーナはそれを見上げる。

 ラージェは瞬きすらしない金眼で、カインは小揺るぎもしない紅眼で。二人は異界の中心で歌う者の前に立つが、ディアーナはその塊に怖気と吐き気を堪えた。

 その塊は半透明。手足は無い。手足が無くとも全長二〇メートルは有にある。

 眼、耳、口に有刺鉄線で縫い合わされて〈見ざる〉、〈聞かざる〉、〈言わざる〉を表し、世界と断絶した姿。それでいて拘束衣を纏う巨大な女性像。女性像と言うよりも――――半透明の腹部から見える少女を、身篭る(・・・・・)巨大な妊婦の化け物。その化け物の周りに蠢く、異形の軍団。

 化け物の体内で、異界を作り上げた少女は歌い続ける。

世界は愚かだと。醜いと呪怨(うた)い続ける。

 

あなたの心はまるで荒野ですね・・・・・・・・・

 

 結界を張りながら、悲しい気持ちが胸を締め付けられるのを感じつつ、ラージェはもう一度視線を向ける。

 

砂漠ならまだ水を与えれば、潤えるというのに。あなたは自分から荒野に成り下がった

 

 厳しさある金眼を向けるラージェ。その金の双眸には、薄っすらと涙すらある。

 この少女が不憫で仕方が無かった。簡単に〈絶望〉することが。〈絶望〉程度で済むと思っている彼女が。

 

『【どうでも良い。そんな事。どうでも良いのよ。自分も他人も】』

 

 口を開くのも面倒なのか、それとも高度な魔術師の素質ゆえか。彼女は、直接ラージェ達に念話で送り付ける。

異形の羊水に浸る少女――――磯部綾子は生気すら無く、返答する。

 

『【丸ごと全部、消えてしまえば良い。自分が消えるなら全てが終わってしまえば良い】』

 

 己が消えるなら世界も終わるべきだと言う磯部綾子に、カインは鼻を鳴らす。未だ眠気とダルさが残るが、神経は鋭敏に尖らせている。

 〈幽界〉の空気が、全身にエネルギーを循環させる。半魔の血が闘争の空気で刺激され、抑えようにも無い戦意が溢れ狂う。

 

確かに。どうでも良いという点では共通している。俺はお前の絶望も、(トラウマ)どうでも良い(・・・・・・・・)。そして、俺がどうでも良くないことはただ一つだ。貴様のせいでラージェ様の休暇日程が、狂うことは許さん

 

 言い捨てて剣を鞘から解き放つ。長大なツーハンドソードたる魔剣グラムの切っ先を向ける。

 

言霊で名乗れ、退魔師(ゲート・メイガス)よ。この〈魔剣()〉が、斬り捨てるに値する者か否かを見極めてやる

 

 カインの宣戦布告と、叩き付けられる殺気すらどうでも良いのか、磯部綾子は無感情なまま、言われたとおりに言霊で名乗りをあげる。

 

 

『【迷路の門――――】

 

 

 初めて磯部綾子の感情が滲む。

 

『【絡み、括り、惑わせる――――】』

 

 異形の軍団が高らかに凶美なる妊婦を賛美するように、怒号を上げる。

 

『【結界師による結界師の迷路を堪能せよ。私は元、神城家三一代目当主候補――――神城綾子。今は磯部の姓――――異素による繋ぎ目して、繋ぎ止める者】』

 

 妊婦を守るように、荒野の大地を突き破って巨大な蛇が現れる。細い舌を出し入れし、切っ先を向けるカインを威嚇する。

 

『【泥沼に抗う事無く、呑まれて眠れ――――寝ても覚めても地獄の現実に購い、死に眠れ。私は磯部綾子。ただの悪夢を見せる者――――】』

 

 全長三〇メートルは下らないであろう蛇を前にして、カインは不敵なまでに見上げる。そして、剣を肩に乗せ、名乗り上げる。聖堂序列二位の言霊で。聖堂七騎士の枢機卿長として。

 

我は主君以外を認めず、主君と主君の守る者以外、全ての敵対者。主君の敵を葬り、主君の害を切り開く。魔に染まり、血に染まり、屍の山に突き立つ刃。我は聖堂七騎士、第一位、〈魔剣〉にして〈聖騎士〉。カイン・ディスタード・・・・・・・・・貴様の命を終わらせる刃の名を刻んで――――

 

さぁ――――

 

『【さぁ――――】』

 

 カインの声音と、綾子の念話が重なり合う。

 

屠殺(エクソシスト)の時間だ

 

『【悪夢の時間よ】』

 

それを合図に、ラージェはカインのために結界を一時的に解く。

カインは弾丸の如く駆け抜く!

同時に全身が一気に変貌を遂げる。〈獣化現象〉の楔が解き放たれ、彼本来の姿。甲冑と面頬を纏い、戦闘態勢を整え、稲妻めいたスピードで異形の妊婦へ駆け走る!

 カインが動いたと同時に、巨大な蛇の頭が鉄塊の如く振り落として来る! しかし、カインはグラムを横薙ぎに叩き込み、首を跳ねるだけに留まらず、蛇の頭部は高速回転と共に、右側に集結していた異形に叩き付けられた。

 巨大な質量と高速のスピードで叩き付けられた異形の軍団が、肉片と青い血汁を跳び散らしながら挽き肉と化していく。

 しかし、異形達は何の躊躇も無く、臆する事も無く凶悪と言ってもまだ足りない悪魔の妊婦へ集結していく。

 〈魔剣〉の前に集結していく。しかし、〈魔剣〉は止まる事も引く事も無い。

 長大な剣を振るい、左手の篭手で鉄球を食らわし、右手の篭手で削り取り、群がる全てを前後も左右も関係なく、満遍なく切り刻む! 血飛沫が舞い落ちるよりなお速く、踏み込んで新たな敵を切り刻む!

 異形全てが、魔剣というミキサーに掛けられて、肉骨全てを粉々に切り刻まれていく。

 一振りで一八〇度いた異形の胴を飛ばし、鉄塊の発砲で五〇メートル離れた敵すら肉塊と変え、右手を振るうと半径三メートルが血も肉も、存在すらも削り取られて消えてしまう。それでもなお己の間合いに進行する異形には、鋼鉄のハンマーのような拳と、鞭のように撓るハイキックが頚骨と頭蓋を、樫の木のように砕き折って黙らせる。

 屍が、血の大河が、カインの両側に築き続ける。青い血河が荒野に流れ、屍の山脈が次々と折り重なり続ける。

 その姿は正しく〈魔剣〉だ。主の手に有らずとも、鞘から解き放てば敵を屠るのみの刃。

 上司の戦いに、ディアーナは愕然とする。介入できるわけが無く、援護も出来ない。未熟で足手纏いという事実を徹底して認めるしかない戦場を。

 

ディアーナさん! カインさんの後を追いますよ! 付いて来て下さい!

 

 ラージェも既に結界を張り直す。迫る異形の群れを浄化し、跡形も無く消し去りながら叫ぶ。

 

カインさんが突破口を開いてくれます! 私はその間に、異界の〈核〉である〈妊婦〉を祓わなければいけません!

 

 つまり――――結界から出ないように付いて来いという意味。

 本当に足手纏いだと痛感するよりも、今はこれ以上の醜態を見せないためにも、ラージェの命に素早く従う以外に無かった。

 駆け走るラージェを追い、すぐに横へ並ぶディアーナ。ラージェの速度と合わせていると、凄まじい勢いで突貫していくカインに離される一方となった。

 ディアーナは言うべきか、言わずにするべきか? 悩んでしまう。

 

――――おんぶしましょうか?

 

その一言が、とても言い辛かった。

 いくら年下とはいえ、上司。二千年の歴史を持ち、現在はその頂点に立つ人物。そんな失礼なことが言えないのは平社員のサガ。

カインとの距離が縮まらないこと事にすぐ気付いたラージェはディアーナを見上げ、

 

ディアーナさん! 出来れば、私をおんぶして下さい!

 

 とても真剣な眼で言った。

 ディアーナは何も言わずに背中にラージェを乗せる。

 

(足手纏いが、足になった・・・・・・・・・・・・)

 

 渇いた自嘲を浮かべて、心中で呟くディアーナ。

 

オォ・・・・・・・・・・・・何だか、目線が高くなると偉くなった気分です!

 

 女教皇ラージェは御満悦だが、ディアーナの心中など晴れはしない。

 

これなら、幾らでもドンと来いって感じですよ? ありがとうございますディアーナさん!

 

はははぁ・・・・・・・・・

 

 彼女なりの気遣いか? それとも天然か? どちらかというと両方だと断定し、ラージェを背負いながら、ディアーナは自嘲的な笑みが零れ出して止まらない。彼女の身長は一七八センチある。結構、彼女としてコンプレックスに値する身長。良く同性に「カッコ良いよね?」、「凛々しい」、「憧れちゃう!」など嬉しくない賛美。そして女性の先輩方から黄色い声援を送られるが、嬉しいと思ったことは一度も無い。

何物ねだりと可愛い小物好きも手伝って、あと身長が五センチほど低ければと、つくづく気にしているのだ。

 可愛らしい洋服を買って局長カインをビックリさせようとしても、姿鏡の前で着てみてゲンナリするのが、彼女のちょっとしたプロフィール。

 

一七八センチにB.八四、W.五九、H.八五ですよ? 良いな・・・・・・・・・どうしたらそんな体型に出来るんですか?

 

(何故! 私のスリーサイズを!)

 

 驚愕しつつも、ディアーナは頭を軽く振って、これ以上気にしている事を言われ続けることを嫌い、形勢を整えるのために軽いジャブを放つ。

 

セクハラでしょうか?

 

えっ? なんでしょうか? セクハラという単語は?

 

 ピュアなラージェに意味は通じない。がっくりと肩を落としたディアーナは、もう遠くなっていくカインの背中へ視線を移した。

 

少し、揺れると思います。しっかり掴ってください!

 

 もう話すことすら疲れてしまい、ディアーナはしゃにむに駆け出す。

 

セクハラ――――マザーファッカー・・・・・・・・・・・・まだまだ覚えなければなりません・・・・・・・・・上司として、恥ずかしくないように!」

 

 うん。と、変な決意を背中で固めているラージェに、ディアーナは今代女教皇の率いる組織は本当に大丈夫だろうかと、不安たっぷりに溜息を吐いてカインの後を追う。

 そんなやり取りも知らず、カインは孤軍奮闘していた。ただし、一騎当千以上の値で敵を屠り続ける。

 甲冑に青い返り血が付着され、剣を振るうたびに風が巻き起こって血の霧を吹き飛ばす。

 残像しか映らぬ敏捷性で所構わず敵を切り捨てていく。

 宣言通り女教皇の敵を、無慈悲に平等に斬り捨てる。

 血糊だらけであろうと伝説の魔剣グラムは切れ味を失わず、敵を斬殺する。

 北欧の英雄が所持したと言われる竜殺しの魔剣。

煌びやかな装飾に余りあるほどの巨大な刃は、カインの尋常ならない膂力によって斬撃の旋風を巻き起こす。

堕天使の翼を持つ騎士一人に数で勝るはずの〈使い魔〉が、秒単位で屠殺されていく。

 

数だけは一人前だな?

 

 裏拳の一撃で巨大な鬼の腕を逆に曲げ、絶叫を上げる間もなく首を跳ね飛ばす高速の回し蹴りで黙らせ、左篭手のガルムで鉄球を当たり構わずブチ込む。

 瀑布の如く舞い上がる肉片を突き抜けて、異形の妊婦まで残り二〇メートルの距離。

 

この程度が結界師の技か? 貴様の手段はこれだけか? この程度の〈使い痲〉で女教皇を守護する〈魔剣〉に勝てるとでも思ったか?

 

 妊婦の羊水に浸る少女は胡乱げに目を開く。光の無い眼だ。カインすら、屠られる異形すらも見えていない。

 甘い絶望に浸ったまま何の力も見出せない瞳を見て、カインは嫌悪感が沸き上がる。

 足掻く事も購う事もしない。己の世界に浸っているだけの少女にカインは嫌気しか感じられなかった。

 

安易に自分で自分を傷付けて、人に同情を引きたいか? 笑わすな? 嘲る価値も無い。自分すら手放している貴様に掴めるものなど何も――――

 

「【無い――――欲しいなら、何故手を伸ばさないの?】」

 

 カインのセリフを優しさすらある声音が引き継ぐ。

 聞き覚えのある声に、愕然となるカイン。閃かせた剣の動きが動揺によって止まる。

 

「【私は今でも、あなたに手を差し出している――――初めて私とあなたが出合った時の言葉ですね? カイン?】」

 

 妊婦との距離はもう五メートルまで縮めたカインの背後から、柔らかい――――この異界に相応しくないほど、情愛の潤いを持った声音にカインは戦慄する。

 ありえない場所で――――もう、出会えないはずの女にカインは振り返る。

 

「【今も私を思ってくれているのですね・・・・・・・・・?】」

 

 金縛りのように動かなくなる。

 華奢な身体に纏う白い法衣。黄金色の髪。他者への慈しみに溢れた金眼。そして――――静かに返り血だらけの甲冑と、醜い堕天使の血を発現させているカインに微笑んでいた。

 未だ自分を忘れていないカインを喜ぶような・・・・・・・・・未だ、不器用に戦い続けるカインを悲しむように。

 

レッ・・・・・・・・・

 

 目が離せない。五体全てが雷に打たれたように動けなくなる。

 醜い獣化現象を解き放ち、人の姿へと変わった(・・・・・)カインは迷子になった子供のように、その女性を見詰めたまま震えていた。唇すらその女性の名を呼ぶだけで躊躇してしまう。目にしている人物が消え去るかもしれないという、恐れと不安。そして、再会出来た歓喜を綯い交ぜにし、心の底からその人の名を呼んだ。

 

レイラ・・・・・・・・・?

 

 呆然と、カインは名を呼ぶ。失われて久しい、先代女教皇――――魔剣が愛した女性の名を。

 名前を呼ばれたのが嬉しいのか、さらに破願するレイラを魅入られてしまう。カインの腕が力無く下がり、剣の切っ先が荒野に突いた。

 その決定的な隙を逃すほど敵は甘くは無い。

 トス――――と、背中を押されたようにカインの身体が揺らいだ。

 カインの背後には、両手が鉈で構成した〈使い魔〉。その鉈が二本。カインの背を貫通し、腹部を突き破っていた。

 最初はゆっくり――――だが、勢いを増してカインの腹部から血が噴出していく。

 スーツの生地とシャツが真っ赤に染まっていく。

 致命傷ではない。が、出血と打たれた薬のせいもあり、意識を保つのは限界だった。

 抗う事も出来ず、カインは己が流した血の池に倒れ込んで、静かに睡魔から落ちていった。

 倒れるカインを遠目で見ていたディアーナとラージェは、驚愕で声も出なかった。

 ディアーナはカインが倒されたショックで。

 ラージェは、居る筈が無い女性を前にして。

 

ディアーナさん!

 

 ラージェの叫びに駆けていた足を止めていた事に気付き、ディアーナは怒りの呼気を吐いて全力で疾走する。目指す相手は決まっている。倒れたカインを見下す妖婦。

 疾走の最中、背にいるラージェは金色の目を細め、集中する。カインが倒れた事すら頭から消す。それが最良の選択だと女教皇として選択する。

 この場を浄化し切ることが女教皇として当然の責務。それを誤れば、二度とカインは自分を女教皇として認めない。〈魔剣〉を担う者として、認めはしない。

 〈魔剣〉に応えるなら、これが最良。心の片隅にある思考――――駆け付けて出血を止めたい葛藤を引き千切る。心痛に耐え、唇を噛み切って、厳粛たる声音を荒野に響かせる。

ラージェと同じく、レイラ――――聖堂九〇代目女教皇も、天上の美声を荒野に響かせる。

 

「「【事実を解き、真実を伝えた聖トマス。聖人が打ち立てた尖塔に集え、同志よ!――――聖トマスが守り、四人の聖者が封じた真実の紐を解け・・・・・・・・・眼を見開き、心を閉じず――――眼を閉じて、心を開け。さすれば――――】」」

 

 下唇から流れる血も拭わず、両手を魔境の中心にいる妊婦へ向ける。

 それを守るようにレイラは立ち塞がり、右手をラージェへと向ける。

 二人の声はハーモニングだけで〈異界〉の風景を歪ませる。

 

「「【神は何処にでもいる】」」

 

 ラージェの掌から金色の閃光を放たれる! 閃光を螺旋で包み込むAthah(アテー、) gabor(ギボール、) leolam(ルオラーム、) adnai(アドナイ)――――汝は強大にして永遠なり、わが主よ。

霊に対しての命令の句。訃音化して呪文に用いられるのが昨今であり、簡易的な儀式に用いるだけに留まっている。それは、ただの魔術師が悪魔に命令し易くするだけの話。被免達人(アデプタス・エクスエンプタス)のラージェが用いれば、聖性し尽くした言霊と、彼女が使役する〈天使〉、そして生来の魔力で書き込まれたそれは、レーザー砲の比ではない。

全てを昇華し尽くす浄化の熱光線は、異形の妊婦に直撃する前にレイラの放った聖性のレーザーに阻まれる!

ラージェの放った昇華の光線と、レイラの放った浄化の光線は衝突する!

衝突から生まれた幾筋の稲妻が、周りの使い魔を一瞬のうちに焼き切る! 稲妻は荒野の地平線まで疾駆し続ける。鏖殺というに相応しい浄化の雷によって消去されていく。

稲妻は美しい黄金色で眩くとも、魔を殺す光。魂の属性が限り無く〈闇〉のそばにあるディアーナには、命に関わるほど。

そのような者を〈眷族者〉と魔術師の学名で分類している。

〈天使〉、〈悪魔〉、〈精霊〉のどれかとコンタクトし、その力と知恵を手に入れるのが魔術師なら、〈眷族者〉はこれら三種へと帰属化を意味する。

天使や悪魔と契約して、〈力〉と〈知恵〉を魔術儀式や呪文をもって力を汲み取ることによって、現界で行使する。

〈眷族者〉はさらにダイレクトである。魔術儀式という〈力〉を汲み取ることをほぼ必要とせず、直接的な〈力〉を行使出来るため、他の魔術師と違って行使する力は桁が違う。三種が眼を付ける特別な存在と言えば聞こえは良いが、桁違いの能力を用いるだけに逆属性に対しては、致命傷の弱点となる。

ディアーナはそれに近い。たとえラージェの結界で守られようと、聖性の光は暴力の責め苦に等しい。

 

くぅぅぅぅ!

 

 身体中が悲鳴を上げる。生命の警告音が理性を刺激する――――魂が叫んでいた。

 

(逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ! 今、背負っている者はお前の〈全て〉と逆存在だ)

 

 内側からこみ上げる警告音に必死で耐える。今、ラージェを振り落とせばケガだけでは済まされない。均衡している力の超衝突を前にして、無防備となってしまう。この華奢で小さな女の子に対して、それだけは出来なかった。

 

それに――――カインに誓った。

命を賭けて守ると――――。

ならば、実践しよう。もともと、カインに拾われた命。ならば、〈魔剣〉が守護しようとする者も守らなければ意味など無い命。もとより、そのためにカインの命令を無視してこの地に来たのではなかったのか?

 

誘惑を振り切り、歯を食い縛って聖性の責め苦に耐えるディアーナ。

稲妻が四方八方に飛び散り、異界は荒涼とした静けさを取り戻し、ディアーナはゆっくりと両目を開ける。

残ったのはディアーナとラージェ。異形の妊婦にレイラと、レイラの背後で倒れているカインだけ――――荒野を覆い尽くしていた異形の軍団が屍を晒し、死肉と青い血からは蒸気を上げている。

累々の屍が荒野を埋め尽くしている中、ラージェは目を逸らさずにレイラを見据える。その目には動揺と、困惑。そして、何故という疑問。

そんなラージェの動揺する瞳を優しく横目で見詰めるレイラは、微笑みながら唇を開いた。

 

「【大きくなったわね・・・・・・・・・ラージェ? 見違えたわ・・・・・・・・・三年も経てば、当たり前かしら?】」

 

嘘です!

 

優しい声音を、ラージェは頭を振って遮る。

 

姉さんは・・・・・・・・・三年前に死にました! そして! 本当に姉さんなら! ご自身の(・・・)を・・・・・・・・・カイン義兄(にい)さんにケガなどさせません・・・・・・・・・!

 

 女教皇になって以来、部下であるカインを義兄と呼ぶのは、他の部下達へ示しが付かない。と、カインは注意して以来、ラージェはカインを義兄と呼ばないようにしていた。

カインの最初で最後の願いを尊重している。それを守らねば、〈魔剣〉の地位を放棄すると。命尽きるまで、レイラの墓守だけをすると言われてから。

 唯一の肉親を失ったばかり。その上、義兄と慕う人の厳しい言葉に、泣きながら懇願した日。

 

――――せめて、義兄と思うことを。せめて敬意だけは許して欲しいと。家族を失うのはもう、嫌だと。

 

 そんな懇願も、カインは頑として首を横に振った。

 

――――守って欲しい。それを守るなら、お前を守ろう。お前が手を伸ばす世界を、お前が愛しいと思う人も、お前が大切にする理想と夢も一振りの剣として守り抜こう。

 

 膝を付き、長大な剣を掲げて――――その勇猛と騎士として美を持って、厳粛な永遠の誓いを立てた。

その誓いを忘れた事などない。己とカインの誓いを。だが、叫ばずにはいられないほど、ラージェは狼狽していた。

死に別れた実の姉の姿は、あまりにも衝撃的だった。

 ディアーナはその事実に、ベクトルの違うショックを受けていた。

 

(局長――――結婚していた・・・・・・・・・そうだよね? うん。二五歳だもの。うん。結婚していても、不思議じゃない年齢だよね。うん・・・・・・・・・それに聖堂七騎士の枢機卿長だもん。うん・・・・・・・・・責任ある立場だもん。それで独身じゃ、カッコつかないもの・・・・・・・・・)

 

「【その通りよ。ラージェ? 私はあなたの姉であるレイラじゃないわ。でも、限り無く〈レイラ〉よ。九〇代目女教皇レイラ。カイン・ディスタードの妻、レイラ・ディスタード。あなたとカインの、〈記憶〉と〈想い出〉に〈未だ居る〉、レイラよ】」

 

 静かに告げた言葉の意味に、ラージェの表情は一変する。可愛らしい容貌から怒気が溢れ出す。

 貫かんばかりに、妊婦の羊水に浸る磯部綾子を睨んだ。

 

あなたは! 私や、カインさんの想い出まで土足で上がり込むのですか!

 

 荒野に響くラージェの怒声すら、磯部綾子の眠たげな眼に表情は窺えない。変わりに居る筈のない姉が、微笑みながら妹を見据える。

 いつもカインと自分に向けていた笑みが、今は敵としてそこにあった。

 

【ここは〈異界〉よ? 精神の領域に足を踏み入れた時点で、あなた達は絶対に覆せないルールに縛られている。そう――――】」

 

 言いながら、ゆっくりと右手をラージェとディアーナに翳し、

 

【〈異界(ここ)〉で倒れるという、ルールに】」

 

 金色の魔力がレイラの掌に集結。

 さきほどのレーザーを再び撃とうとしている。

 

くぅ!

 

 ディアーナはすぐさまラージェを降ろし、幼き女教皇の盾になろうと身構えるようとして、歯を食い縛った。

 歯を食い縛ったのだが、レイラの翳している手に怪訝となってしまう。

 レイラが向けている掌は、倒れ付したカインの背である。

 

「【さようなら・・・・・・・・・私の妹。ここで、悪夢を見なさい・・・・・・・・・】」

 

 シリアスに決め台詞を言っているレイラに、ディアーナは背後にいるラージェへ顔を向けて困惑しながらも、アイコンタクトで答えを求めた。

 ラージェもディアーナの困惑顔を見てすぐに頷く。

 

姉さんは近眼だったんです。それも、半端じゃないほど・・・・・・・・・

 

 答えてくれたのはいいが、納得していいのだろうか?

 

(いや待て? なんであの人は、さっきから横顔しかみせない? 真正面に敵対者が居るというのに? カッコつけてる訳じゃないの? 演出じゃない?)

 

「【むっ? 何時の間に移動を?】」

 

 あっ? 驚愕している。本当に、近眼なの?

 ようやっとこちらを確認したレイラを見てから、背後のラージェをチラリと見るディアーナ。

 

(天然の姉妹・・・・・・・・・間抜すぎ!)

 

 己の所属する組織のトップ二人を、バッサリと辛口で評価した。ディアーナは荒野の石コロを蹴らぬようにし、慎重にレイラへと回り込んでいく。

 ラージェは中腰姿勢の忍び足でレイラへと近付くディアーナに、訝しげに首を傾げていた。

 

(ラージェ様に肉弾戦は期待できない・・・・・・・・・そして、目の前に居る敵も肉弾戦は全く皆無と見ていい・・・・・・・・・なら! この場で私が一番強い! 足手まといの足ではなく、局長の役に立てる!)

 

 ニタニタと背後に居るレイラを、どのように料理しようかと嬉しそうに悩んでいるディアーナも気付かず、「【幾ら逃げ足が早かろうと、三六〇度を覆う超範囲魔術なら逃げられないでしょう!】」鼻で笑いながら超範囲魔術の詠唱を開始するレイラ!

 

「【マグダラのマリアよ――――主の血脈を残した偉大なる聖母にして、聖女よ――――】」

 

 金色の魔力がレイラの全身を覆い始めている隙に、ディアーナはすでにレイラの背後。

 

「【偉大なる聖女にし、主の言葉と意志の体現者よ! 今こそ、我が両手に――――!】」

 

テェイ!」

 

 詠唱が完了する前に、ディアーナは気合の込めたチョップが、レイラの脳天に直撃!

 

「【フギィ!】」

 

 呪文が途中で遮られ、集結していた魔力が拡散。その隙にディアーナは更に攻撃の手を止めない。

 

エィ!」

 

 地味に効く右ローキックで、バランスが崩れたレイラは前のめりにぶっ倒れる。しかも、荒野の岩肌。それも受身も無く頭から情け無く。

 

「【痛ぃ〜!】」

 

 鼻を抑えて何とか起き上がろうとするレイラに、容赦の一欠けらも無くディアーナは攻撃を決行!

 投げ出された両足首を掴んで思いっきり、引っ張る。

 

「【痛い痛い痛いぃ!】」

 

さらに引き摺り回すことによって顔面雑巾掛け!

 もう、完全にいじめっ子殺法。

 

ハッハッハッ! 面白いくらいに弱すぎ!

 

 引き摺りながらディアーナが声高に哄笑するのを見て、ラージェはリアクションの間に合わない困惑顔で、呆然としていた。

 

「【やっ、止めてぇ!】」

 

バカでしょ! あなたバカでしょ? 敵に懇願して、許してくれるわけ無いでしょ?

 

 いじめっ子セリフが似合い過ぎるディアーナに、ラージェは止めるべきなのかとオロオロし始める。

 敵の作ったモノとは言え、自分の思い出の中ではとても大切な亡き姉なら、尚更であった。

 

「【くぅぅ!】」

 

 半泣きの顔でディアーナの手から足を振り払い、今度はディアーナの脛に思いっきり蹴りを喰らわせるレイラ。

 

痛ぅ!

 

 脛の一撃が効いたのか、距離を取るディアーナの隙にレイラは立ち上がって、ポケットから眼鏡ケースを取り出すと、すぐさま装着する。

 牛乳ビンの底よりも厚い丸眼鏡を掛けたレイラ。その姿に、ディアーナの笑いのツボを刺激され、指で相手を指して涙目で大笑いする。

 脛を蹴られた痛みと、厚い眼鏡を掛けて地味な優等生キャラへと変貌を遂げたレイラに、笑いが止まらない。

 

ブゥ! 私を笑い死にさせようとしているぅ・・・・・・・・・この人・・・・・・・・・絶対、私を嵌めようとしているぅ!

 

(いえ、違うんですよディアーナさん? 姉は、生前からあの眼鏡を掛けていたんですよ・・・・・・・・・あまり、笑わないでください・・・・・・・・・敵の作ったモノとはいえ・・・・・・・・・一応は、身内の姿ですから・・・・・・・・・)

 

 ラージェの胸中も知らず、絶好調のディアーナは何の警戒も無く、レイラに歩み寄って、掛けていたばかりの眼鏡を張り手一閃で叩き落とす!

 低レベルな攻撃が面白いほど入る上、そのたびに面白いリアクションをするレイラにディアーナは有頂天だった。

 しかし、レイラも黙ってはいない。

 攻撃する角度から敵を割り出し、反撃のチャンスを窺う!

 そして、爪先当たって感触に勝機を賭けた!

 

「【そこです!】」

 

 気合一閃のサッカーボールキックは、小気味良い感触が返って来た。ディアーナの脛か腹にヒットしたと確信するレイラ。

 

グフゥ!

 

 痛みに唸る敵。荒野に転がるような音に、会心の笑みを浮かべるレイラ。

 

「【そして止め!】」

 

 追撃の手を止めず、寝込んでいるであろう敵の首目掛けてギロチンニーを躊躇無く振り落とす。

 ゴキンと、頚骨が強かに軋む音に勝利を確信するレイラ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 ラージェは呆然と。

 

「・・・・・・・・・フッ」

 

 ディアーナは、鼻を鳴らして呆れ果てた眼で。

 サッカーボールキックも。ギロチンニーも。全てが倒れ付していたカインに加えていた事も知らず、レイラは執拗に攻撃の手を止めない。マウントポジションを取って殴打を喰らわせる体制を整え、荒い呼吸を静めようと小休憩しているその隙に、ディアーナは再びレイラの背後を取っていた。

 そして、その両腕を素早くレイラの首に巻き付けて裸締めを決行!

 

「局長の仇ぃ!」

 

(いや・・・・・・・・・最初のサッカーボールキックで止めましょうよ? ディアーナさん?)

 

 ラージェはディアーナを応援すべきか、いっそのこと敵の作り出した姉を応援するかと本気で悩み始めていた。

 

落ーとせぇ! 落ーとせぇ! 落ーとせぇ! 落ーとせぇ! 落ーとせぇ!

 

 ディアーナはノリノリ。

その騒がしくも見苦しい戦いに、嫌気が指したのは何もラージェだけではない。

 妖婦の羊水に浸る磯部綾子は、ここに来て初めて感情らしい瞳をその三人に向けていた。白けた眼差しで見下し、溜息を吐いた。

 

『【うるさい】』

 

言下とともにラージェ、カイン、ディアーナの足元から奈落の虚無。

その穴になす術もなく消えていく。悲鳴の木霊すら聞くに堪えないのだろう。荒野に開けた穴をすぐさま閉じると、羊水に浸っていた磯部綾子は一息ついたのかのように溜息を吐いて、再び静かにまどろみの中へと戻るために目を瞑った。

 

 

 

四月一八日。午後六時九分。黄紋大学病院前。

 

 タクシーを降り、大学病院の入り口に立つ京香さんと私。

 患者受付のシートは休日だから空いている。しかし、静まり返った受付とは言え、看護婦も他の入院患者も見えない。

 耳鳴りがするような静寂の中、京香さんの後ろで私は、胸中に渦巻くどす黒い怒気を懸命に押さえ込んでいた。

 そう・・・・・・・・・焦る事はないわ、美殊。敵はほら? もう目と鼻の先。じっくりたっぷり痛みつける計画をゆっくり考えましょう。時間は少ないけどボロ雑巾以下の価値でズタズタに引き裂いて、誠に手を出したバカに相応しい死に様――――。

 

「美殊ぉ?」

 

 いきなり振り返った京香さんが声を掛けてきた。その顔は不安というか、どちらかというと憐れんでいるような?

 

「声に出しているぞ。あとさぁ・・・・・・・・・ぶっちゃけ、背後で物騒なセリフを並べないでくれよぉ? ちょっと、私は娘の将来に不安を覚えてきたぞ?」

 

 ・・・・・・・・・声に出していた?

 急速に血液が顔に集中していく! 顔が熱い! 恥ずかしい!

 

「それと、私が言うと説得力無いかもしれないが・・・・・・・・・殺すだの死なすだのは言うな」

 

 ・・・・・・・・・そして、地底にめり込むほど凹む。

 説得力は無くとも、京香さんに言われたらオシマイだった。

 

「わかりました・・・・・・・・・」

 

 京香さんの心配にはならないと、誓ってはいるものの、さっきの部分で指摘されるのはさすがに傷付く。

 気を取り直すためにも、誠を拉致した敵を京香さんは、何処まで知っているのかを訊く事にしよう。話題を変えねば。

 

「それより京香さん? 誠を拉致した魔術師は〈連盟〉所属ですか?」

 

 魔術師は大抵、〈連盟〉に所属する。連盟に所属する事によって、魔術師は最低限の庇護を受ける事が出来る。まず魔術実験をするためには、高度な霊媒と霊地が必要になる。〈横〉へと延々と繋がる情報網を持つ〈連盟所属魔術師〉の誰か一人が、霊媒と霊地が必要となる魔術儀式を研究しているとする。しかし、肝心な霊媒と霊地を持っていない。

 逆に、魔術儀式の手法は知らないが霊媒と霊地を持っている魔術師がいるとする。それらを仲介役として〈連盟〉は存在している。と、言えば聞こえはいい。しかし、利害が一致すれば何でもやってしまうという危険性は、〈聖堂〉より狙われる可能性が誠にはある。

 誠の内に封じられた魔王の魂。そして〈女王〉と呼ばれ、未だ魔術に係わりのある者たちが、ソフトタッチに解釈した伝説に君臨する真神京香の実子。

実際に〈連盟〉に所属し、その〈連盟〉の中で〈最年少賢者〉の地位を獲得しているマジョ子さんに言わせれば、〈連盟〉の素性はこうらしい。

 

『解りやすく言えば、ただの掲示板。出会い系に似てると思うぞ?

〈初めまして。ボクは今、【時間制御魔術】の研究をしている者です。だいたいの論文は出来上がったんですが、実験をするにも霊地と触媒がありません。何方か、霊地。もしくはこの魔術研究に適した触媒をお持ちの方はいらっしゃいませんか?〉

とまぁ〜こんな感じ。あとは〈研究職の魔術師〉が〈連盟の長〉の眼鏡にかなって〈賢者〉になれば、スポンサー役は「その賢者」の名前を使って、他の研究職魔術師を掻き集めることも出来るんだ。そして、自分の研究したい魔術を行なう。まぁ、一般社会と似たり寄ったりってことだな』

 

と、自分の組織を簡潔かつ、辛口評価を下していた。

しかし、それは利害が一致すれば何でもありとも言える。

 そう・・・・・・・・・たとえば、誠の三位に興味を持つ者だっているかもしれない。

 「解放の精神」、「暴力の気」、「憤怒の魂」という異常性を・・・・・・・・・。

 

 

「安心しな? 美殊が考えるほど、深刻な問題でもねぇよ」と京香さんは不敵に笑みを作り上げる。こちらの不安など吹き飛ばすほどその笑みには力があった。

退魔家序列一位の当主の笑みほど、頼もしいものは無い。

 

「確かに「解放の精神」、「暴力の気」、「憤怒の魂」つぅこの相性抜群の霊質を持つ、愛してやまない私の息子に対して、〈連盟〉のバカがハッちゃけるなら、私だって黙っちゃいねぇ・・・・・・・・・そん時は・・・・・・・・・組織戦は性に合わないが、ぶっちゃけ――――〈戦争〉だ」

 

 京香さんは物騒な事をサラリと言う。それもかなり本気な目だ。さきほど、私への注意を棚の奥へと押し込めるセリフだった。

 

「〈四翼(よんよく)〉を召集し、〈クラブ〉の〈ランカー〉にだって声掛けちゃうモンねぇ。あと〈トライブ〉のフェイトと、お爺ちゃんにも」

 

「お爺ちゃん?」

 

 怪訝になって訊き返してしまう。〈四色四翼〉は真神の直結的な分家。名字が紅、蒼、黄、碧。真神を守護する退魔家の中でも武門中の武門。実際に、その〈四色四翼〉の次期後継者たちを私と誠は、お姉さんとお兄さんとして慕っているため良く知っている。

 フェイトも、フェイト・シルバー。あの恐るべき〈怒る飢え〉と呼ばれる〈トライブ保守派〉の、親善大使にして〈電光石火〉のスピードと〈兇悪無比〉の膂力を誇る獣人。だがしかし、お爺ちゃんは解らなかった。

 

「うん? 覚えてないか? 誠の中学卒業祝いでタヒチの小島にいったじゃん? あの小島の長老さんだぞ?」

 

 あぁ! と、納得したが・・・・・・・・・えっ? あのお爺さん? と、怪訝になってしまうのも事実。杖を突かなければ歩けそうもない老人で、これでもか?これでもか? むしろ、これでもか! と、言った弱々しい老人だった。見ていて、はらはらドキドキしてしまうほど、枯れ枝のようなお爺さん。

 

「お爺ちゃんはすげぇぞ? 未だ現役バリバリの獣人だからな?」と、今更衝撃の告白をする京香さん。

 

「えっ? あの・・・・・・・・・?」

 

「あれ? 解らなかったか? あそこは、〈トライブ保守派〉の土地だぞ?」

 

 そんなトコに私と誠を連れて行ったのか!

 

「いい人だったろ?」と物凄く自慢気。そして、友達を誇るような朗らかな笑顔・・・・・・・・・をされたらコメントし難い。本当に良い人達だった上に、誠と私にとって初めての海外旅行だったわけだし・・・・・・・・・。

 まぁ、今更だけど・・・・・・・・・このくらいで驚いていたら、真神家当主代行など務めることなど出来ませぬ。

むしろ、この京香さんの養女である前から、亡き父の多忙のために母代わりとして参観日や運動会まで出てくれた。出てくれたのは良いが、そのたびに事件を起こしていく。

父が亡き後は三者面談で、これまたどうでもいいトラブルを、嵐のように生産する私の大切な家族であり、ハチャメチャなもう一人の母である。

 母だけど・・・・・・・・・ちょっと行動がぶっ飛んでいる。ぶっ飛んでいると表現したが、これでもまだ身内としていくらかの配慮。その斜め上を突き抜けてしまうのが、我等真神家を支える美人と認めるしかない、超弩級トラブルメーカーのお母さん。

 

「確かに・・・・・・・・・良い人たちでした――――誠と私に気さくに声を掛けてくれた、ちょっと痩せ気味なお兄さんは、島の案内から村人の紹介までしてくれましたし・・・・・・・・・通訳も、買って出てくれましたし・・・・・・・・・でも? 何で、〈トライブ保守派〉ですか?」

 

「だってぇ〜さぁ〜お前が、『南の島に行ってみたい!』って言ってたジャンかぁ?」

 

 言ってた? 私が? 誠じゃなく? マジですか!?

 

「ほら? お前は本当にぃ! すげえ感謝していたから。その気持ちとして連れて行きたいじゃん? でぇ――――私が知る限り、綺麗な場所を選んだ。ちなみに、お前と誠の通訳を買って出てくれた、痩せ気味なお兄さんはフェイトだけど・・・・・・・・・これも解らなかったのか?」

 

 あの南の島で、私と誠の案内から村民の皆様の間に立ち、紹介もしてくれた人がフェイト・シルバー? 京香さんと並ぶ女王の異名を持つ、マリア=イスカリオの最初で最後の恋人にして、その血肉を喰らった〈怒る飢え〉!? マジ!? そんな大物に見えなかったけど・・・・・・・・・むしろ、ちょっとハードボイルドを勘違いしていて、何故か金髪のバリバリ外国人のお兄さん。好物が納豆にマヨネーズという、変わった嗜好のお人。

タヒチの日差しの中、レザーロングコートを着ていたし、ちょっと変だとは思っていたけど。

 

「うぅ〜ん・・・・・・・・・ですが、そんな危険度MAXな場所へ何故に?」

 

「えっ? 危険だったか?」

 

 改めて言われたら、確かに・・・・・・・・・島民の皆さんは本当に良い人――――もとい、本当に良い獣人の方々だったけど・・・・・・・・・。今、思い出しても、また行きたいと言える。獣人とか抜きにして、本当に気さくな方々。

 

「因みに、私と仁の新婚旅行は〈クラブ〉だ」

 

 危険度MAXを目指した旅行ですか? と、突っ込みたいけど突っ込まない。突っ込んだら、どんどん話が反れそうだ。

 だが、これで解る事は、京香さんに喧嘩を売れば火を見るより明らかだ。〈聖堂〉、〈連盟〉が揃って畏怖する〈女王〉を敵に回せば、手痛い報復が待っているという事を。

 しかし、尚更、誠を拉致した魔術師の正体が見えてこない。

 

「では、何処に属した魔術師ですか?」

 

「退魔家だよ?」と軽く言ってくださる京香さん。えっ? 私の考えている事より深刻じゃない・・・・・・・・・?「メチャ深刻でしょう!」叫ぶ私がバカみたいだと思うほど、京香さんは悠々と、誰一人すれ違わない病院の廊下を闊歩する。私はそれに続くが、京香さんへ狼狽で上手く動かない舌を懸命に働かせる。

 

「京香さん! それは私が考えていたことよりずっと! メチャ! ゴッツイほど深刻です! 現段階で七大退魔家は、鬼門街に居ない理由は解っているはずです!」

 

 京香さんは頭を掻きながら、こちらも見もせず進む。その態度には、流石に温厚な私も頭に来るものがあった。

 

「七大退魔家が象徴する、七つの門。そして、その門から出現した七大魔王。それらを所有していた七大退魔家。これによりパワーバランスを保っていたのに、今はその七大魔王がどの門かも、どの霊脈に存在しているかも解らないのが五つ・・・・・・・・・確認されている魂である〈貪欲の魂〉は〈聖堂〉の手に渡っている状態。なのに、真神家はちゃっかり〈憤怒の魂〉を持っていると、バレてしまったら!」

 

「だから〜そこも含めて深刻じゃないって意味(・・・・・・・・・・・・)さ」

 

 私を諭すような声音で京香さんは、病院の精神病棟へと歩を進めながら言う。何の迷いも無く。

 

「さて。それじゃ、美殊? 当主代行としておさらいだ。ぶっちゃけ、七大退魔家の分家筋は何家ある?」

 

「四九家ですが・・・・・・・・・」

 

「正解。では、では? 自分が退魔家の分家とも気付かない家の数は?」

 

「五九家・・・・・・・・・だったはず――――」

 

「大正解! では、〈分家〉と〈未だ退魔家〉とも知らない〈家〉の内、〈独立〉した〈退魔家〉は何処でしょうか?」

 

 えっ? と、頭の中を急速に整理していく。

 

「ちなみにヒント無し」

 面白そうに言う京香さんも意識せず、記憶の引き出しを懸命に引っ掛けまわす。確か・・・・・・・・・明治初期に現れた天才によって、たった一家だけが独立したと記憶して――――あっ!

 

「磯部家ですか?」

 

「ピンポン、ピンポン! 大正解だぜ! 正解者にはテーゼのカルボナーラレシピを進呈!」

 

 ノリノリで私にノートを渡す京香さん。何処から出したのか? と、訝りながらも受け取り、開いてみる。

内容を見てみると全て英語。しかし、英語くらいは会話も読み書きも出来る。だが、少なからず英語に触れた経験からして驚かされた。

ミミズがウネウネ這うような文字ではなく、読みやすい文字。自分も相手にも解り易く的確。書いた人間性を表す、几帳面さと細かな気配りすらある。

 字だけでかなり好感を持ってしまうほど、その人の内面性に惹かれてしまう。だが、さっき、誰の物と?

 

「えっ? テーゼって?」

 

「うん? あぁ。それか? 〈反対命題〉とは料理の趣味が合うからな。時折、互いのレシピを交換し合うのさ」

 

「はぁ・・・・・・・・・はぁ!?」

 

「いやぁ〜アイツの料理の中で、一番カルボナーラが得意でさぁ?」

 

 いや・・・・・・・・・京香さん?

 

「何だよ? 意外そうな顔して?」

 

 いや? あの〈反対命題〉ですよ? 暴力世界で〈墓場(セメタリー)〉を代表する、三強の一人ですよ? あなたの友好関係は射程距離無限大ですか? 有名な〈反対命題〉のどうでもいいようなプロフィールもオマケですか? 何ですか? なんですか! その交友関係の広さはぁ!

 時間があれば、本気で一時間くらいは問い詰めたいんですが!

 狼狽しきっている私を置き去りにし、京香さんは精神科のリハビリルームへの扉を開く。京香さんの特技の一つである〈放置〉が発動。私の狼狽した顔など見もせず、とっとと中に入っていく。

日が沈んでもおかしくない時間帯である。だが、そこは闇が意志を持つように薄気味悪い影がカーテンのように覆っていた。

 子供向けの玩具が無造作に転がり、シンデレラやオズの魔法使いといった絵本。そして、白い壁の端に大きなオーディオ機器が置かれている。その中央にいる人影――――。

 

「こっ・・・・・・・・・・・・怖いよぉー! 何だよ! ここ! おれが何をしたんだよ! 助けてよ・・・・・・・・・」

 

 頭を抱えてブルブル震えた声音。そして、情け無さ爆発の言葉。しかし、私には解る。これは間違いなく!

 

「おっ・・・・・・・・・おっ・・・・・・・・・お母さぁん!」

 

 誠だ。間違いなく、誠だ。暗がりが怖くて、一人でホラー映画が見られない、高校二年生の誠だ。

 でも・・・・・・・・・お母さんって・・・・・・・・・・・・。

 

「呼んだ?」と、京香さんは片手を上げて平然と声を掛ける。

 

 背後を取られた小動物のように背中を震わせ、恐る恐る振り返る誠。目がちょっと赤い。半泣きしていたようだ。

 

「何? お前? 泣いてたの?」

 

「誰さ? 泣いてる? 何処の誰?」と、言い訳としても苦しいことを、言いながら直ぐに立ち上がる。京香さんはニタニタしながら近付いて、立ち上がった誠の頭をヨシヨシとあやすように撫で始めた。

 

「悪かったな? あんなことが起きるとは、思ってもいなかった。どっか痛いとこかあるか? お母様が〈痛いの痛いの飛んでけぇ〜〉って、おまじないしてやるぞ? 懐かしいな〜? 誠が幼稚園の時以来だな?」

 

「子ども扱いすんな。殴った本人が」

 

 心配する母。そして、母の手を邪険に払う息子。でも、京香さんが母とは、関係者以外は誰もが思うまい。

 しかし・・・・・・・・・何故、誠の居場所をこうも正確に織っていたのか? 私の表情を見たのか、京香さんはニヤリと唇を吊り上げる。

 

「誠とお前限定なら、私は世界の裏側であろうと解るのさ?」

 

 カッコ良過ぎる仕草で、肩に掛かった赤い髪を払う京香さん。言いながら、掌に浮かぶ紅の陽炎――――その中に映るのは、私と誠の立ち姿だった。

 〈式神〉の目線に映る私と誠。しかし、私の眼にはその〈式神〉の姿すら見えない。レベルの高い魔術師や退魔師なら、〈迷彩結界〉を付加させた式神を放てるとは、マジョ子さんから聞いていたが・・・・・・・・・。何時の間に、そんな式神を放っていたのか?

 

「何時からですか?」

 

 どの位前に式神を放っていたかと問う私に、京香さんはどうでも言いように。

 

「うん? 誠と追いかけっこする前だ」

 

 つまり、ブティックから飛び出した時、私と誠を同時に監視していたと言うこと。私の〈使い魔〉と違い、魔術を使役する人間すら気付かない巧妙さには、脱帽以外ない。今さながら、天と地の力量を思い知らされる。尊敬する以外ない。尊敬するしか、出来ない人種達への悔しさが身を焦がす。

嫉妬すら感じる技量を持ち、それなのに腹が立つほど奢らず、甘い人間性と超然とした精神の両面を持っている。そう、オカ研部部長の巳堂さんもそれを持っている。その、毅さを。

 

仕切り屋で、プライドが背と反比例しているマジョ子さんが、尊敬して立てているだけはある人物だと、認めてはいる。だが、悔しい。

腹が立つし、見ているだけで、傍にいるだけで、私個人が矮小過ぎる存在かと認識してしまう。豪奢にして荘厳(しょうごん)で小揺るぎもしない巨大な鉄の壁に、生爪を突き立てる虚しさすら覚える人物。矮小とはいえ、巳堂霊児という人間性から滲み出ている雰囲気くらいは、私でも解る。でも、憎悪はある。憎悪の正体は解っている。マジョ子さんから聞いた〈過去〉のせい・・・・・・・・・それが、凄まじいから。

私が同じ立場なら・・・・・・・・・一秒として私は耐えられない。否・・・・・・・・・違う・・・・・・・・・私は・・・・・・・・・耐える事すら放棄するだろう。実父が帰らぬ人となった時のように。

蘇らせる人を、縋れる人を延々と待つだけの死人として。だから、嫌いだ。巳堂霊児は死人にもならずに〈今〉を維持している事が。

 

嫉妬、挑発するほどの実力を持つといえば、〈神殺し〉の三名。そして、実の両親と仁さん。被免達人という、魔術に係わる者の最高峰中の最高峰に君臨し、尊敬出来る人々。しかし、その横に巳堂さんも居るのが口惜しいのだ。私は、口惜しいが認めてしまっているのだ。

天空に君臨する一人である京香さんは、私の問い掛けに答えた後、リハビリルームを一瞥しながら鋭い眼光へと変えていく。

「まぁ・・・・・・・・・確かに、〈ここ〉は嫌になるなぁ? 確かに〈怖い〉」

 

呟きながら辺りを見渡す京香さんに、誠も不安そうに頷く。

 

「うん。ここ・・・・・・・・・何処なのさ? 何時までも居たくないよ」

 

 二人の会話に怪訝となる私。何処をどう見ても、至って普通の風景でしかない。

 

「うん? 美殊は見えないか?」

 

言いながら京香さんは近付き、私の額にトンと、指を静かに触れる。

 

「これで、見えると思うぞ?」

 

 言下だった。身体の内側から燃えるような魔力が流れ込む!

 稲妻のような一瞬ではない。私の身体を隈なく燃えつくそうと駆け巡る魔力の流動。これは・・・・・・・・・京香さんの魔力。京香さんの〈属性〉。全身を燃やし尽くそうとする魔力の流れが、私の額に再び戻ってくる。そして私の〈霊視〉を一段階高い場所まで導いていく。

 広がるのは、毒々しいガスの充満した部屋の風景。天井と床を浸食するカビに、私は思わず吐き気と悲鳴を上げそうになる。

 

「落ち着け、美殊」

 

 絶妙なタイミングで私に声を掛けてくれた京香さん。少しでも遅かったら、私は発狂の悲鳴を上げていたであろう。

 二度、三度と、丁寧に深呼吸をしてから私は二人を見る。

 この二人は、〈霊視〉という段階でこの病院の異常性を気付いていたのか? 私は霊視することすら考えず、この病院に入ったことすら恥ずかしかった。

 これで真神家当主代行? 笑わせる・・・・・・・・・笑うしかない。自分の過信振りに。

警戒心も何も無く、何も考えずにいた自分が今は無償に腹が立つ。そして、何より誠ですら気付いた異常を、私は感知すら出来ていないこと。これで、誠を守ろうとしている自分――――未だ封印で、雁字搦めの状態である誠は、今の私の位階を超えている事実。真神家ゆえか? それとも持って生まれた才能と、〈魂〉のせいかなのか? どんなに努力して足掻き続けても、届かない者は届かない――――虚しすぎるのだろうか?

いっそう、全てを投げ出して――――「美殊、呑まれるな。〈弱さ(・・・・・)〉に逃げるな」京香さんの言葉に導かれるように、私は京香さんの目を見詰める。

深く――――目を逸らさずに見据える瞳が、真正面にある。〈太陽〉が、私だけを照らしている――――私だけを見詰めている。

 

「〈弱さ〉に逃げると癖になる。足掻けよ、美殊? 見っとも無く。それを認めた上で、柔な恥なんて捨てちまえ(・・・・・・・・・)。〈強く〉なるってぇのはまず、そこからだ(・・・・・・)

 

 言葉の意味は解り難い。だが、これだけは判る。京香さんの眼を見れば、解る。既に結界師による攻撃は始まっていると。既に私は術中に嵌る段階で、立ち直れと。

 

「・・・・・・・・・大丈夫です、京香さん。心配をおかけしました」

 

「ふふん♪ 誰も心配なんてしてねぇよ?」

 

 ニッコリと微笑む京香さんに釣られて、私も苦笑する。これだけでも気が安らげる。

 今度は誠が怪訝となって首を傾げるが、出来れば気付かれたくないので、私は務めて冷静に口を開いた。

 

「それより、病院一つを丸ごと呑み込んでいる・・・・・・・・・〈空間迷彩〉、〈空間複製〉の二種ある結界も同時に行使しているのですか?」

 

 辺りを見渡すたび、この退魔師の底知れなさに鳥肌が立つ。位階なら確実に、第八位階〈栄光(ホド)〉・・・・・・・・・いや、第七位階・・・・・・・・・〈勝利(ネツァク)〉の深淵(アビス)すら入っている・・・・・・・・・。〈連盟〉が認める〈最年少賢者〉たるマジョ子さんに迫る〈結界師〉など考えたくも無いが、甘い認識は命取りだ。

 

「いや・・・・・・・・・違うさ。〈空間迷彩〉も、〈空間複製〉も劣化。ただの付属だよ」

 

 京香さんは好戦的な笑みを浮かべながら、毒々しい風景を見渡しながら言う。

 

「〈異界(アストラル)〉だな」

 

 結界の中でも最高峰の魔術を呟く京香さん。静かに唾を飲み込む。音を聞かれないように、自制心をフルに使って声音を整える。

 

「〈異界〉って・・・・・・・・・普通の結界師だって――――」

 

「まぁ。普通の結界師なら半径五メートルの精神領域。それか、出口を一個だけ作って、〈空間複製〉で〈範囲〉を広げるのが王道というか、ぶっちゃけて常識だよな? それを考えると、かなり凄腕だな? 入り口は最低でも四つだろう? ざっと、見ただけでもこの〈異界〉は、鬼門街を覆い尽くしているぞ? すげぇな? 範囲だけなら〈異界製作者〉の中でも〈墓場(セメタリー)〉のナターシャに次ぐ――――〈聖堂七騎士〉の〈盾〉と肩を並べているぞ? これ?」

 

 すげぇ、すげぇ。と、拍手すらする京香さん。

 面白そうに言いますが・・・・・・・・・〈墓場〉を統べる〈巫女〉は、風聞で耳にしていますが、〈ソロモン七二柱〉の〈異界〉らしいですよ? しかも、階数付き。つまり、悪魔という肉の体を持たない魍魎が住む世界に直結し、〈悪魔〉すら〈現顕(マテリアル)〉可能・・・・・・・・・。例えるなら、〈鬼門〉一つを開き切るということと、同義です。天変地異に肩を並べて、アメリカンジョークを言い合う間柄とも言いますが?

 

「流石だよ・・・・・・・・・うん。流石としか言いようが無いぜ? ご先祖様が残してくれた日記に、何で〈磯部当主は、何故二十年遅く生まれてきたか? 己と同い年ならば、歴史と日の本は、変わっていた〉って、残したのかが解ったぜ!」

 

 謎の一つが解けて、快活に笑う京香さんですが、私は物凄く困惑していました。もう、心中の言語すら、コントロール不可能です。はい。

 

「それより、母ちゃん?」と、誠はカビだらけの部屋を見渡しながら、オズオズと訊ねる。

 

「早く出ようよ? ここって何だか、マジでヤバイよ? 昔、父ちゃんが帰って来てワイシャツに口紅が付いていただけで、「浮気しやがったな!? この腐れ外道ぉ!」って叫んで激昂しまくった母ちゃんと、同じくらいヤバイよ?」

 

 誠の例えは解らなかった。だが、京香さんには通じたのか・・・・・・・・・この人らしくないほど、両頬を朱に染めて誠を烈火の如く睨む。

 

「私がぁ! そんな言葉を仁に言う訳がないだろうがぁ!」

 

「言ってた。ほら? 聖慈ニィちゃん、昇太郎兄さんに昂一朗ニィちゃん、百合恵ネェに、百合香姉ちゃん。鋼太(こうた)ニィちゃんと(ともえ)姉ちゃんが、いっぺんに泊まっていたでしょ? あん時だよ?」

 

 言われたセリフに腕を組んで思案する京香さん。そして、なるほど。と、頷いたが、続く誠のセリフに、顔色は蒼白となる。

 

「あの後・・・・・・・・・確か――――夜中、トイレに起きて・・・・・・・・・・・・」と、続ける誠に、「あぁぁああああああ! 思い出すな! それ以上喋るなぁぁぁぁあ!」顔を真っ赤に染めて叫びまくる京香さん。

 

「確か・・・・・・・・・居間で母ちゃんと父ちゃんが、手と手を繋いでいて――――」

 

「あぁ! ああ! そうだぁ! ここ抜け出したら、お前の好きなシチュー作っちゃう! うん! 腕によりを掛けて作っちゃう! お母さん! 普段の十倍頑張っちゃう! うん!」

 

 尚更、先が気になるほど困惑顔の京香さん。しかし、誠の言葉は無情に続く。私としては先が気になっているため、ちょっとお得。

 

「でも、途中で兄ちゃん達が、おれの口と目と耳を塞いで、強制的に寝室へ連行されたなぁ・・・・・・・・・・・・何だか逃がさないように、囲まれて寝ていたな〜」

 

 話のオチに胸を撫で下ろす京香さん。私としては舌打ちモノ。いい雰囲気の、〈先〉が知りたい!

 

「朝には嘘みたいに父ちゃんと、仲直りしていたよね? 朝っぱらから、「はぁ〜い、あ〜ん♪」なんて、兄ちゃんと姉ちゃんの目を気にせず、父ちゃんといちゃついていた。兄ちゃんと姉ちゃん達は、見ないようにしていたけど・・・・・・・・・・・どうして? 何か、良い事でもあったのか?」

 

 誠は高校生なのに、子供のように問い掛ける。想像力と妄想力が一番活発な高校生とは考えられないその問い掛けに、京香さんは顔を真っ赤にしたまま眉を吊り上げた。

 

「良いだろうが! 別にお前が知っていいことじゃねぇんだよ! 忘れろ! 忘れなければぶん殴るぞ! コラァ! 強制的に記憶喪失にするぞぉ!」

 

握り拳で威嚇する京香さんは、触らぬ神にタタリ無し。その程度は誠も知っているため追求はしなかった。

 

「まぁ。どうでも良いけど」と、誠は言いながら溜息を付く。

 

「母ちゃんの勘違いで、父ちゃんは生傷が絶えなかったし・・・・・・・・・振り返ると、父ちゃんは不幸かもしれないな・・・・・・・・・・・・」

 

「うっせぇ! うっせぇよ!」

 

 何だか、立場が逆転している? それに京香さん? あなたは本当に、私と誠より年長者ですか? 何だか好きな男子生徒がバレて、狼狽する女子高生並なんですが?

 

「何で、父ちゃんと結婚したのさ?」

 

 小学生が聞くようなセリフに、京香さんは小さく唸る。歯軋りと、怒りと羞恥心を綯い交ぜの表情で、仰け反っていた。

 今まで訊かれたことの無いセリフだったのだろう。その性か、威勢のいい京香さんが後退りしてしまう。

 

「何で?」

 

 純真爆弾の質問たる、「何で? どうして?」の質問攻め。しかし、誠も誠である。その歳で疑問に思うような――――――――あぁ。誠の歳は、五年前から留まっていたのを思い出す。

強制的に止まっていたのだ。だから、心に残った疑問すら気付かず、過ぎ去っていったのだ。

 今はようやく、それらの疑問という小石に触れることが出来ているのだ。

 そして、京香さんもそれを知っている。知っているから、口より先に手を出さない。フルフルと小刻みに身体を震わせ、拳を握っては開いての繰り返しをしていた。

 

「そのぉ・・・・・・・・・あれだよ。顔とか、性格とか・・・・・・・・・色々あって・・・・・・・・・な? こう――――コイツとなら一緒にいても良いかな? 何て、思っちゃって・・・・・・・・・」

 

 モジモジし始める京香さん。本当、あなたの歳は幾つですか? 小娘である私が思うのも何なんですが・・・・・・・・・仕草がモロに恋に恋する少女なんですが?

 

「もう・・・・・・・・・良い」

 

 誠は可愛くモジモジする京香さんを見て、心底ゲンナリした表情。

 

「何か、キモいよ? その仕草?」言い過ぎな言葉と、私は思う。でも、歳を考えたら・・・・・・・・・。と、納得出来なくも無い感想を零す。しかし、溜息を吐く誠を音速で首根っこを掴む京香さん。

 

にこやかに笑っているが、目は阿修羅が滅殺を敢行するかの如し。私は命拾いしたかもしれない。

 

「誰がぁ〜? キモいって? えぇ〜?」

 

 威嚇する猛獣が牙を剥く。それは、笑みを作る様。そして、パンダは丸くなって頭を庇っている。情けない悲鳴を上げる寸前の表情で。

 

「誰か言ってみろよ? えぇ〜? 怒らないから〜?」もう、怒っている人間がよく言うセリフだった。京香さんは激昂しまくり。何処から噛もうかと、牙を剥きながら()う百獣の王。

 

「失言でした! お忘れくださいぃぃいぃい! ヤヤヤヤヤヤ――――」

 

 ヤヤヤヤヤは、翻訳すると「止めて」と、言っていると推測。懇願しているのだろう。負け犬議論を思い出すほど、情けない声音の誠。しかし、その直後に響き渡る怪奇音が誠の声音を覆い隠し――――〈使い魔〉が京香さんの頭上に現れる。

その頭を鉈と化した両手で、振り落とそうとしていた。

そして、誠の頭上にも同じ〈使い魔〉も!

 

「――――止めやがれぇぇぇぇえ!」

 

「――――しゃらくせぇぇぇぇえ!」

 

 それに気付き、私が動く素振りを見せた刹那。

誠の語尾が裂帛の気合と変貌し、右拳が京香さんの頭上を通過。

京香さんも誠の首根っこを離し、右腕を振った瞬間に握られたウィンチェスターを誠の頭上へと向ける。

真紅の長髪を巻き上げるほどの拳風。そして、肉と骨が砕ける音色。衝撃慣性のまま、現れた天井へと逆戻りする使い魔の身体は、天井と床をジグザグに往復。天井、床を爆砕しながら緩和されて、ようやくリハビリルームの壁へ爆発音を響かせて衝突する、誠に殴られた〈使い魔〉。

長大な火柱に轟音! 女王の弾丸を喰らう〈使い魔〉! 重力を無視したかの如く天井へ逆戻りし、その天井へ陥没して縫いつけられてしまう京香さんが迎撃した〈使い魔〉。

 

前腕から拳までスタッズと甲殻に覆われる誠の肉体変化にも驚いてしまうが、私はそれでも京香さんが持つウィンチェスターから目が離せない。

銃身は短い――――マジョ子さんから聞きかじったソード・オフ・ショットガン。だが、ただ銃身が短い程度のモノではない。銃身を挟み込むよう――――髑髏の胸骨が銃身を包み込む。

そして豪奢に、煌びやかに様々な色合いの宝石がその髑髏の骨を装飾している。美しさすらある〈死〉と〈暴力〉の総合芸術。宝石一つですら、普通の魔術師達が持つ魔力を軽く超えてしまう。いや、普通の魔術師が一生涯掛けて蓄積する魔力すら、鼻歌交じりで超えている。

 

〈女王〉たる真神京香が〈杖〉として所持するショットガン。その名は〈永久(モリガン)〉――――英雄クー・フーリンには冬の終わりと春を。アーサー王には死という〈安息〉へ導いた三相一体の女神の名を冠するショットガン。

そのの銃口は硝煙を昇らせていた。

 

 地煙が巻き上がり、人間的なフォルムを持っている〈使い魔〉の、ありとあらゆる間接が逆に曲がり、青い血反吐を口から吐き出しながら痙攣。

 天井に貼り付けにされた〈使い魔〉も酷い有様だった。それも身体半分は平面と化しての貼り付け状態である。

 凄まじいと、言うより・・・・・・・・・二人は出鱈目(でたらめ)だった。

 

「てめぇ〜? ウチの母ちゃんに不意打ちとは良い度胸じゃねぇか! アァ!? 百億年早ぇんだよ! ぶん殴ってやっから〜立て! 阿呆がぁー!!」

 

「私の子供達に不意打ちぃぃい? ふざけんな!? 一億回ブッ殺してやるから立ちやがれぇ! 根性見せろや!? (タマ)どころか肉片も残さねぇえ!!」

 

 さっきまで(なさ)()い人間の定型例だった人間とは思えないほど、激情している誠。そして、我が子を料理しようと考えていたとは思えない京香さんの怒声。

しかし、すぐに熱が冷めたのか・・・・・・・・・京香さんは誠をチラリと見てから溜息にも似た苦笑をして、ショットガンの銃身で肩を叩く。

 

「やっぱぁ、仁の息子か・・・・・・・・・」

 

 喜ぶべきか、悲しむべきかと小さく呟く。

嬉しさと悲しさを滲ませた言葉。そして、私の視線すら気付かないのか・・・・・・・・・女王と呼ばれし母の表情は、私が今まで見た事も無いほど弱々しかった。

 

 

 

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